- 2025年6月19日
かつて天才だった俺たちへ 認知症基本法のお話。
こんにちは、くろかわ内科クリニック院長の大内です。
今日は認知症基本法のお話をしたいと思います。
2024年1月1日『共生社会の実現を推進するための認知症基本法』が施行されました。この法律は通称、認知症基本法と言います。
成立には背景があります。少し掘り下げてみます。
認知症の最大の危険因子は加齢です。
2025年、団塊の世代が全員後期高齢者となる年が訪れました。少子化と平均寿命の伸びに伴い、超高齢化した今の日本、高齢化は今後さらに進んでいきます。当たり前ですが、高齢者が増えることは認知症を患う人が増えることを意味しています。そしてそのような日本社会で、認知症の方と共に生きることを推進することを目的としたのがこの法律です。
私はこの法律は『認知症の人も周りの人もお互い理解を深めて暮らしやすい世の中にしていこう』ということだと捉えています。
法律の中身を見ると、国や、都道府県、市町村レベルでの施策を行い、認知症の方もアクセスしやすいバリアフリー化や、社会参加の機会の確保、認知症への理解や啓発活動などが書かれています。
法律が施行されたことで、こういった内容が今まで以上に充実し、認知症の方と共に暮らしやすい世の中がやってくることを期待していきたいですし、微力ながらも一人の医療従事者として尽力していきます。
そして、この法律を読んで一番大切で課題だと感じたのは『自らの意思』という部分です。ここがまさに現場が向き合いつづけなければならないことなのです。
ですので2つのことをお伝えしたいと思います。
一つ目は お元気なうちに、ご自身がもし認知症になったら、どうしてほしい、またこれだけは嫌だ、など予めご家族とお話しておくことや書面に残しておくことです。医師として働いてきた中で、ご本人が意識不明の場面に何度も出会ってきました。そんな時、ご家族から「元気な時にこうしてほしいと言っていた」や「いつもこんなことを言っていた」などご本人の意思を代弁してくれる場面に何度も遭遇しました。
自分で伝えられなくなった時のためにご自身の気持ちを残しておくことは大事なことだと思います。
二つ目は 認知症になっても私たちはひとりの人間だということです。
人間は誰でも得意なこと、不得意なことがあります。好きなこと、嫌いなことがあって当たり前です。
たとえば認知症の方は物忘れをしがちです。ご本人もそんな自分にショックを受け、自信を無くすことがあります。周りからの指摘で、精神的に参ってしまうこともあります。
もちろん周りだって余裕がなくイラっとしてしまうこともあります。お互い人間なのですから感情的になってしまい仕方ない側面です。
ただ相手の不得意なことを理解して手伝ってあげることができたら、幸せな関係だと思います。また認知症になったからといって何もできないわけではありません。例えば背が大きい人、力持ちの人、一つの作業をずっとやれる人、みんな誰かの力になれます。
お互いの今現在得意なこと、不得意なことをわかって、良好な関係を築けるのが理想的な姿でしょう。忘れっぽくても、考えるのに時間がかかったり、助けが必要でも、認知症の方も自分の気持ちを汲み取ってもらえたら、すごく感謝されるでしょうし、人としての尊厳を守られるのだろうと思います。
これらのことは何も認知症の人との関わりに限った話ではなく、人間同士の当たり前のコミュニケーションで、認知症になっても当たり前なひとりの人間なんです。
毎日楽しいことだけで過ごせたら、これほど素晴らしいことはないのですが、現実は甘くありません。時に衝突や気持ちが折れそうになることもあるでしょう。
それでもどんな時もできるだけ笑って楽しく生きていくのが大切なんじゃないかなと思います。
こんなことを書いていたら、Creepy Nutsの『かつて天才だった俺たちへ』が流れてきました。
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
こんな気持ち何歳になっても大事ですね。
今日は認知症基本法のお話をしたいと思います。
2024年1月1日『共生社会の実現を推進するための認知症基本法』が施行されました。この法律は通称、認知症基本法と言います。
成立には背景があります。少し掘り下げてみます。
認知症の最大の危険因子は加齢です。
2025年、団塊の世代が全員後期高齢者となる年が訪れました。少子化と平均寿命の伸びに伴い、超高齢化した今の日本、高齢化は今後さらに進んでいきます。当たり前ですが、高齢者が増えることは認知症を患う人が増えることを意味しています。そしてそのような日本社会で、認知症の方と共に生きることを推進することを目的としたのがこの法律です。
私はこの法律は『認知症の人も周りの人もお互い理解を深めて暮らしやすい世の中にしていこう』ということだと捉えています。
法律の中身を見ると、国や、都道府県、市町村レベルでの施策を行い、認知症の方もアクセスしやすいバリアフリー化や、社会参加の機会の確保、認知症への理解や啓発活動などが書かれています。
法律が施行されたことで、こういった内容が今まで以上に充実し、認知症の方と共に暮らしやすい世の中がやってくることを期待していきたいですし、微力ながらも一人の医療従事者として尽力していきます。
そして、この法律を読んで一番大切で課題だと感じたのは『自らの意思』という部分です。ここがまさに現場が向き合いつづけなければならないことなのです。
ですので2つのことをお伝えしたいと思います。
一つ目は お元気なうちに、ご自身がもし認知症になったら、どうしてほしい、またこれだけは嫌だ、など予めご家族とお話しておくことや書面に残しておくことです。医師として働いてきた中で、ご本人が意識不明の場面に何度も出会ってきました。そんな時、ご家族から「元気な時にこうしてほしいと言っていた」や「いつもこんなことを言っていた」などご本人の意思を代弁してくれる場面に何度も遭遇しました。
自分で伝えられなくなった時のためにご自身の気持ちを残しておくことは大事なことだと思います。
二つ目は 認知症になっても私たちはひとりの人間だということです。
人間は誰でも得意なこと、不得意なことがあります。好きなこと、嫌いなことがあって当たり前です。
たとえば認知症の方は物忘れをしがちです。ご本人もそんな自分にショックを受け、自信を無くすことがあります。周りからの指摘で、精神的に参ってしまうこともあります。
もちろん周りだって余裕がなくイラっとしてしまうこともあります。お互い人間なのですから感情的になってしまい仕方ない側面です。
ただ相手の不得意なことを理解して手伝ってあげることができたら、幸せな関係だと思います。また認知症になったからといって何もできないわけではありません。例えば背が大きい人、力持ちの人、一つの作業をずっとやれる人、みんな誰かの力になれます。
お互いの今現在得意なこと、不得意なことをわかって、良好な関係を築けるのが理想的な姿でしょう。忘れっぽくても、考えるのに時間がかかったり、助けが必要でも、認知症の方も自分の気持ちを汲み取ってもらえたら、すごく感謝されるでしょうし、人としての尊厳を守られるのだろうと思います。
これらのことは何も認知症の人との関わりに限った話ではなく、人間同士の当たり前のコミュニケーションで、認知症になっても当たり前なひとりの人間なんです。
毎日楽しいことだけで過ごせたら、これほど素晴らしいことはないのですが、現実は甘くありません。時に衝突や気持ちが折れそうになることもあるでしょう。
それでもどんな時もできるだけ笑って楽しく生きていくのが大切なんじゃないかなと思います。
こんなことを書いていたら、Creepy Nutsの『かつて天才だった俺たちへ』が流れてきました。
俺らは大器晩成
時が来たらかませ
こんな気持ち何歳になっても大事ですね。